水芭蕉のような人
こんにちは。
暑い暑い夏の真っ只中ですが、いかがお過ごしでしょうか。
自粛の夏が続き、お家の中で夏を感じられることはなかなか少ないですよね。
かくいう私も同じで、夏の歌を歌って風物を楽しんだり、涼をとったりしております。
今回、「ゆりめぐチャンネル」にて、中田喜直作曲の「夏の思い出」を公開しましたので、良ければ是非、私たちの歌で夏を楽しんでみてくださいね。
「夏の思い出」-Youtube
《夏の思い出》リモートで二重唱してみました。ソプラノ–小玉友里花、メゾソプラノ–松浦恵
中田喜直という作曲家
さて、《夏の思い出》は中田喜直の代表作とも言える楽曲で、クラシックファンのみならずたくさんの方に愛される曲ですよね。
この曲を聞くと、優しい心持ちになり、どこか郷愁の想いすら感じさせます。尾瀬の出身でもないというのに・・・不思議です。
そんなあたたかい作風ですから、優しくてロマンチストでとっても柔らかいお人柄の方が作曲したのだろうな、と漠然と思っていましたが、実際の中田喜直その人は、少しイメージと違うようです。
中田喜直をよく知る人曰く、時に頑なに自分の意見を押し通すような、非常に合理主義者でリアリストだったとのこと。
例えば、社会問題や政治に対する国民の意見を掲載する、読売新聞の投書欄「気流」のかなりの常連投稿者であったり、当時には珍しい嫌煙家で、とある会議の場では、幾度にわたって喫煙のTPOについて力説し、当時会議中にタバコを吸うことが少なくなかった時代にも、果敢に抗議し会議室の灰皿を撤去させるなど、断固として自分の主張を押し通す気概があったようです。*1
「夏の思い出」だけではなく、そのほかにも多くの中田歌曲を歌ってきましたが、音楽からはあまり感じてこなかった印象なので、意外なお人柄に驚きます。
牛山剛氏*2は著書《夏が来れば思い出す–評伝 中田喜直》で、「夏の思い出」の歌詞になぞらえて、中田喜直は「水芭蕉のような人」であったと述べています。
先ほどの動画でも登場しましたが、改めてご紹介すると、水芭蕉とはこのような見た目の花です。
花言葉も「永遠の思い出」や「変わらぬ美しさ」といった上品なもので、湿地帯に咲く白い清純な姿は、どこか可憐で奥ゆかしさも感じますよね。
しかし、この白い部分、実は花ではなく、葉の一種であり、実際はその中にある粒々とした黄緑がかった部分が花なのだそうです。そして、この白い葉の部分にはシュウ酸カルシウムが含まれていて、肌に付くとかゆみや水ぶくれを起こすことがあるとのこと。さらに、根の部分にもアルカロイドという嘔吐などを引き起こす物質も含まれているそうです。
一見するととても美しい水芭蕉が、この美しい白いヴェールとその下に密かに毒を含んでいる。この特徴が ”美しい音楽を生み出す作曲家中田喜直の隠された合理主義的気質” と非常によく似ていることから、「中田喜直はまさに水芭蕉の人だ」と牛山剛氏は述べたわけです。
また、中田喜直の同級生だった声楽家・畑中良輔*3氏も著書『日本歌曲をめぐる人々』*4の中で、中田喜直との学生時代の思い出を多く語っています。
その中で、ある日畑中邸に中田喜直訪れた際のこと、畑中氏の姉が作ったチキンライスを出したところ、彼はグリンピースを箸で一粒一粒皿の端に避けて食べ、グリンピースが嫌いなのかを尋ねると、「嫌いじゃないんですけど、この皮が消化に良くないので...」と一言。
彼は食べ物にかなり注意深く、苺のつぶつぶまで避けて食べていたほど、消化に悪いと言われるものはよほどなことがないと口に入れなかったのだそうです。
私だったら、嫌いではない食べ物なら人にご馳走になる一食くらい、出されたまま食べそうですが、この信念強さ...驚きです。
しかし意外な共通点なのですが、実は私も小学生の頃グリンピースが大嫌いで、皿の端にコロコロと避けては食べている幼少期でした。私の場合は単純に嫌いだから残すという悪ガキ風情のそれでしたが、ちょっとした共通点を見つけてほっこりしました。ちなみにグリンピース、今はちゃんと食べられます。
それはさておき、エピソードを聞くにつれ、ますます中田喜直の事が興味深くなってきます。
異彩を放つ作曲家・中田喜直になぜ人々は惹かれるのか。その理由が少し理解できたような気がします。
自分が思う理想にひたすらに突き進む信念の人であった中田喜直だからこそ、あれだけ多くの優れた楽曲を世に生み出し、未だなお高い人気を誇っているのでしょう。
中田喜直や作品について、山のように語りたい事があるのですが、それはまたの機会に。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
それでは、また。
小玉友里花